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経済産業省は2026年7月30日、「企業買収における行動指針」のポイント・Q&A等を策定・公表しました。2023年8月の指針そのものは維持したうえで、その趣旨が正しく理解されるよう補足する位置づけの文書です。
参考記事: 公開買付制度と大量保有報告制度の見直し(2025年9月2日)

策定の経緯と3つの文書
公表されたのは3つの文書とパブリックコメントの結果です。役割が異なるため、読み分けが必要です。
| 文書 | 想定読者と内容 |
|---|---|
| 解釈について | 研究会再開の背景と経過、ポイント・Q&A策定の趣旨 |
| ポイント | 上場企業の役員や買収者向けに、指針の原則論や留意点の要点を整理 |
| Q&A | 対象会社の取締役・取締役会が、買収提案の検討や選択で悩む点を整理 |
「企業買収における行動指針」(2023年8月31日策定)の改定ではありません。経済産業省は、指針が示すベストプラクティスとその根底にある「望ましい買収」の考え方は今日でも妥当であるとしたうえで、指針を維持することを前提に実践を促す、という立場をとっています。
経済産業省がこの作業に着手したのは、指針の趣旨が十分に理解されていない可能性が指摘されたためです。2026年2月に「公正な買収の在り方に関する研究会」を再開し、企業買収の関係者22者(対象会社6・買収者6・投資家6・FA2・リーガルアドバイザー2)に対する認識・実態調査を実施したうえで、パブリックコメント(国内外59の個人・団体から意見)を経て今回の文書を取りまとめています。
企業価値の意味と範囲
Q&Aの重要なテーマの一つが、「企業価値」の意味です。指針は企業価値を次のように定義しており、Q&Aはこれが定量的な概念であることを改めて確認しています。
「企業価値」とは、「企業が将来にわたって生み出すキャッシュフローの割引現在価値の総和」を意味しており、定量的な概念です。
出典: 「企業買収における行動指針」Q&A問4
そのうえでQ&Aは、一見して定性的な価値であっても、将来のキャッシュフローを増加させ、または割引率を低下させることが合理的に見込まれるのであれば、企業価値に含まれるとしています。例として挙げられているのは、従業員や取引先といったステークホルダーの貢献、ガバナンス体制やサステナブルな事業活動によるリスクの低減、そして経済安全保障に対応する経営(サプライチェーンの強靱化、技術情報等の流出防止)です。
この整理には、歯止めがセットで置かれています。
対象会社の経営陣は、測定が困難である定性的な価値を過度に強調することで、「企業価値」の概念を不明確にしたり、保身を図るための道具としたりすべきではない点に留意が必要です。
出典: 「企業買収における行動指針」Q&A問4
定性的な要素を考慮できることと、定性的な説明で買収提案を退けられることは別だという整理です。Q&Aは、将来のキャッシュフローまたは割引率への影響が合理的に見込まれる場合には定量化することが望ましく、定量化が困難な場合には株主に対する説得力のある説明が求められるとしています。
買収価格と企業価値の関係
実務では、買収価格の高さをどう評価するかで判断に迷います。Q&Aはまず、両者が通常は一致することを確認します。買収者が提示する買収価格は「買収による対象会社の企業価値の向上の見込み」という買収者の評価であり、過去の株価水準よりも相応に高い価格が示された場合には、企業価値を高めることが合理的に期待し得る、という位置づけです。全部買収を目的とする真摯な買収提案が複数ある場合も、企業価値の向上により資する提案と、株主が享受する利益がより大きい提案は、通常は一致するとされています。
例外的に企業価値と買収価格が見合わない場合について、Q&Aは一例として次のような場合を挙げています。
- ① 買収により、対象会社の将来のキャッシュフローまたは割引率に悪影響が生じることが合理的に見込まれる場合であって、
- ② かつ、買収者が、従業員・取引先、地域経済や地球環境を含む多様なステークホルダーの取り分を不当に減らして株主の取り分を増やす、または買収後の企業価値を過大評価しているといった理由により、高い買収価格を提示できる場合
Q&Aは、①と②が組み合わさる場合を、企業価値と買収価格が見合わない例として示しています。価格が高いというだけで直ちに「望ましい買収」と評価されるわけではない一方、Q&Aは、「買収後の企業価値と買収価格が見合っていない」という判断をする場合には株主に対する説得力のある説明が求められる、と明示しています。
レブロン義務との違い
Q&Aは、買収に応じる方針を決めた後は価格だけで判断すべきだという理解を、正面から否定しています。
米国デラウェア州においては、会社を売却すると決めた場合には、取締役は、株主利益(価格)のみを考慮する義務(レブロン義務)を負うものとされていますが、本指針は、取締役会が買収に応じる方針を決定する場合であっても、対象会社の企業価値を向上させるか否かの観点から判断することを求めるものです。したがって、本指針は、レブロン義務を定めるものではありません。
出典: 「企業買収における行動指針」Q&A問6
売却方針を決定し入札手続に入った後であっても、企業価値の向上という観点からいずれの提案に賛同するかを経営判断することになります。もっとも、株主が享受すべき利益が確保される取引条件を目指す努力(買収価格の引上げや強圧性の排除を含みます)は別途求められており、価格を軽視してよいという趣旨ではありません。
善管注意義務との関係
取締役にとっては、指針に沿って行動した場合にどのような効果があるかが関心事になります。Q&Aは、指針が会社法上の善管注意義務・忠実義務の整理を直接企図したものではないとしたうえで、次の整理を示しています。
- 指針のベストプラクティスを参照して行動することにより、善管注意義務・忠実義務違反のリスクを下げることが期待される
- 真摯な検討を行ったうえで買収に応じないと経営判断した場合、結果的に買収が成立したとしても、その経営判断自体が善管注意義務違反になることは基本的に想定されない
- 合理的な努力を尽くしたうえで最も企業価値の向上に資する提案に賛同した場合、結果的に別の提案(最も買収価格が高い提案など)による買収が成立したとしても、同様である
- ベストプラクティスは法律上求められるものではないため、その一部を遵守できなかったことで直ちに義務違反になるものではない
結果ではなく検討の過程が評価される整理です。この整理を踏まえると、事後的に判断過程の合理性を説明できるよう、取締役会や特別委員会での審議、買収者への質問と回答、外部アドバイザーの助言といった経過を記録しておくことが、実務上重要になります。
実務上の含意
指針とQ&Aは法的拘束力を持つものではありません。もっとも、経済産業省が公表するM&A関連の指針が、実務上の判断枠組みとして参照されてきた経緯があることを踏まえると、買収提案を受ける可能性のある企業は、平時のうちに次の点を整理しておくことが考えられます。
第一に、自社の企業価値をどう説明するかです。定性的な要素を挙げるだけでは足りず、それが将来のキャッシュフローまたは割引率にどう結びつくかを示す必要があります。経済安全保障やサプライチェーンに関する取組みは、コーポレートガバナンス・コード(2026年7月版)の解釈指針でも、取締役会がリスク管理体制を整備する際の考慮事項とされており、両者は同じ方向を向いています。
第二に、買収提案を受領した場合の検討プロセスです。誰が付議し、特別委員会をどう構成し、買収者に何を質問するかをあらかじめ定めておくことで、提案を受けてからの初動が変わります。
第三に、社外役員への説明資料です。Q&Aは対象会社の取締役・取締役会が悩む点を設例形式で整理しているため、そのまま社内の共通言語として使える構成になっています。
なお、Q&Aには本指針策定後の法制度の変化を踏まえた読み替えも示されています。令和6年金融商品取引法等改正により、市場内取引によって買付け後の株券等所有割合が30%を超える場合にも公開買付けが義務付けられたことに伴い、市場内買付けが強制公開買付けの対象外であることを前提とした指針の記述は読み替えが必要とされています。この改正の内容は公開買付制度と大量保有報告制度の見直しで扱ったとおりです。
ロジットパートナーズ法律会計事務所のサービス
当事務所では、M&A支援において、スキームの検討からデューデリジェンス、契約の作成・レビューまでに対応しています。買収提案を受領した場合の検討プロセスの設計や、取締役会・特別委員会に諮る資料の整理も、あわせて扱います(法務コンサルティング)。
企業価値の説明にあたっては、定性的な要素を将来のキャッシュフローや割引率への影響として示すことが求められます。当事務所には弁護士・公認会計士の双方の資格を持つメンバーが在籍しており、法務の観点と評価の観点を分断せずに検討できます。制度の適用関係について個別に見解を示す必要がある場合には、法律意見書の作成にも対応しています。
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